浦添は首里へ王都が移されるまで琉球王国初期の王都として栄えました。浦添の古い地名である『うらおそい』は、『浦々を支配』という意味もあります。また、のちの首里城の正殿は”百浦添”と呼ばれてます。

I.浦添城跡(うらそえぐすくあと)

『浦添城跡』は、英祖王代の13世紀頃に築城された琉球国中山(北山、中山、南山があった)の王宮・浦添城を中心とする史跡です。
野面積み城壁で囲まれる範囲は2万㎡を超え、のちの首里城の規模に匹敵します。
沖縄戦の激戦地となったため現在は石垣を残すだけですが、城跡内の高台からは周辺一帯を見渡せ、地理的に優れた城であったことがうかがえます。


当時の城壁が残っていました。
自然の丘陵の上に、面取りした切石で城壁を積み上げ、砕いた琉球石灰岩(コーラル)を大量に使用する大工事が行われており、斜面に築かれる城壁は大変な難工事だったと想像されます。

見晴らしのよい広場。

広場にはベンチがあり、ゆっくり絶景を堪能できます。

浦添城一帯は、浦添市で最も高所な場所にあります。
浦添市だけでなく隣の宜野湾市まで一望できるほどです。

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