浦添は首里へ王都が移されるまで琉球王国初期の王都として栄えました。浦添の古い地名である『うらおそい』は、『浦々を支配』という意味もあります。また、のちの首里城の正殿は”百浦添”と呼ばれてます。

G.浦添ようどれ(うらそえようどれ)

『浦添ようどれ』は、浦添城の北側崖下にある、琉球王国初期の王陵です。
浦添ようどれ(王陵)は英祖王代に造られました。浦添出身の尚寧王が1620年に浦添ようどれを修造し、英祖王陵の傍に一族の遺骨を移したのち、尚寧王自身も葬られています。
太平洋戦争以前の浦添ようどれは荘厳な雰囲気を醸し出しており、国宝候補に挙げられてましたが、戦争により完全に破壊されました。浦添ようどれは、多くの人員を動員して造られた巨大な王陵でした。近年復元作業が行われました。
『ようどれ』とは琉球語で『夕凪』、『極楽』という意味があります。

前庭(手前の小さな広場)

墓室のある一番庭へ入る石門です。

『英祖王』の墓です。すぐ隣(向かって左)に『尚寧王』の墓があり2つの陵をまとめて『ようどれ』と呼んでいます。
二つの墓の間には、『ようとれのひのもん』という碑が建っており、碑文の表は仮名書きの和文、裏には漢文が刻まれてます。
内容は、尚寧王の事、盆と正月にはこの墓を掃除するようになどが書かれています。


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