浦添は首里へ王都が移されるまで琉球王国初期の王都として栄えました。浦添の古い地名である『うらおそい』は、『浦々を支配』という意味もあります。また、のちの首里城の正殿は”百浦添”と呼ばれてます。

F.当山の石畳道(とうやまのいしだたみみち)

『当山の石畳道』は、首里から浦添を通って宜野湾にいたる琉球王朝時代の普天間街道(浦添間切の番所(役所にあたる)を起点に、当山から宜野湾に抜ける道)の一部です。
市指定文化財でもあり、牧港川の中流を挟んでS字型の谷間に造られた全長200メートル程です。
琉球国王は『当山の石畳道』を通って、この普天間宮に参詣したそうです。
牧港川にかかる当山橋は、以前は木橋でしたが、大正時代に石橋に改修されました。この石畳道は、急勾配な部分があり、地元では馬がころぶ程の急坂という意味で『馬転がし(ウマドゥゲーラシ)』と呼ばれています。

ここが『当山の石畳道』です。いきなり急坂です。

しばらく坂が続きます。

敷石は丸みを帯びてて歩きやすいです。
敷石はすり減って角が円くなり表面がつるつるになっており、大勢の人や馬が踏みしめてきたであろう長い年月が伺い知れます。

当山橋


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