浦添は首里へ王都が移されるまで琉球王国初期の王都として栄えました。浦添の古い地名である『うらおそい』は、『浦々を支配』という意味もあります。また、のちの首里城の正殿は”百浦添”と呼ばれてます。

D.伊祖の高御墓(いそのたかうふはか)

『伊祖の高御墓』は地上約20メートルの高所にある墓です。
英祖王の父、恵祖世主(えそよのぬし)と三人の按司の遺骨が納められているといわれてます。
墓は、崖の洞穴を利用しており、崖の中腹を掘込んで石垣で囲い込み、前面は琉球石灰岩の石垣で塞いでいます。墓口が広くアーチ状になっている古い形式の墓です。
昭和47年、国道330号線建設工事によって存亡の危機にさらされたようですが、関係者の努力により回避(保存)されたそうです。

20メートル程の木造の階段を登ったところ。

『伊祖の高御墓』の正面です。

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