浦添は首里へ王都が移されるまで琉球王国初期の王都として栄えました。浦添の古い地名である『うらおそい』は、『浦々を支配』という意味もあります。また、のちの首里城の正殿は”百浦添”と呼ばれてます。

C.浦添御殿墓(うらそえうどぅんばか)

浦添御殿墓は、第二尚氏王統14代国王尚穆(しょうぼく)王の第二子尚図(しょうと)(浦添朝央(ちょうおう))を祖とする浦添家の墓陵です。
御殿とは、王子や按司の家柄やその屋敷のことをいいます。
政治家で『沖縄36歌仙』にも名を連ねる三世朝憙(ちょうき)や、琉球処分で清国に渡り、琉球復興に奔走した4世朝忠(ちょうちゅう)らがまつられています。
18世紀末ごろの造営とされ、近世末期の石積技術を知ることのできる貴重な石造建築物。敷地面積は約400平方メートルです。

一般道路から浦添家の墓陵の入り口へ繋がる階段があります。

低い石垣で囲まれています。

少し近づいてみました。
亀甲墓とよばれる沖縄独特の墓です。浦添御殿墓は浦添市では最大級の規模です。
全体の石積みも丁寧に仕上げられています。

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