浦添は首里へ王都が移されるまで琉球王国初期の王都として栄えました。浦添の古い地名である『うらおそい』は、『浦々を支配』という意味もあります。また、のちの首里城の正殿は”百浦添”と呼ばれてます。

M.玉城朝薫の墓(たまぐすくちょうくんのはか)

『玉城朝薫の墓』は、玉城朝薫は、音楽・舞踊・台詞を総合的に取り入れた琉球国劇「組踊」の創始者の墓です。
玉城朝薫は琉球王府の役人として日本本土へ上った際、歌舞伎、能や狂言など大和芸能を学び、琉球芸能に取り入れ組踊を創始しました。
組踊は現在でも絶えることなく上演されています。

前田トンネルの上にあります。

トンネルの入り口付近に『玉城朝薫の墓』の表示があります。
そのまま木製の階段を登っていきます。

登り切ったところで、『玉城朝薫の墓』の説明の立て札があります。

墓は亀甲墓が作られはじめた17世紀後半から18世紀前半のものといわれています。
石積みや縁石に曲線を多用しているのが特徴です。
屋根はサンゴを含んだしっくいを使用してます。破風墓と亀甲墓が融合し沖縄でも大変珍しい造りです。
芸術家らしい見事な『玉城朝薫の墓』です。

タグ : ,


TOPPAGE  TOP 
RSS2.0