浦添は首里へ王都が移されるまで琉球王国初期の王都として栄えました。浦添の古い地名である『うらおそい』は、『浦々を支配』という意味もあります。また、のちの首里城の正殿は”百浦添”と呼ばれてます。

L.経塚の碑(きょうづかのひ)

『経塚の碑』は、経塚公民館の横の丘の上に『金剛嶺』の三文字が刻まれた石碑です。
『金剛嶺(こんごうれい)碑』ともいわれ『経塚の碑』は、付近に住み、旅人を悩ませていた妖怪を封じるため、尚円王統の尚真王時代(1477年~1526年)に日秀上人(紀州の真言宗知積院の住僧)が金剛経文を小石に写して土の中に埋めたところ、それ以来妖怪が出没しなくなったという伝説にちなんで建立された石碑です。
今でも地震や災害などのとき「チョーチカ」「チョーチカ」「チョーチカ」と三度唱える、沖縄民間風俗が残っています。

『経塚の碑』の正面です。周りは静かな住宅街です。

史跡の表示がありました。

史跡の説明の立て札に逸話が載ってました。

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